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2024.07.20

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子どもと大人は対等

6月園便りの園長通信にもありましたが、6月は「子どもと大人の人権について学び考える」という内容で園内研修を行いました。私たちは、子どもはもちろんのこと、保護者・職員同士の関わりの中でもお互いを尊重することを大切にしています。

そんな錦ヶ丘の人権意識の根底にあるのは、目指す園児像にある『個性ある一個の人格として尊ばれる』ということ、また、『子どもと大人は対等である』ということです。

 

今回のブログでは、この『子どもと大人は対等である』について、私自身が大切にしていることをお伝えします。

「子どもなんだから優しくしてくれてもいいじゃん」

この言葉は、実際に私がある子ども(5歳児Aさん)に言われた言葉です。その時私は、ランチルームでの給食中に楽しくなりすぎて箸を飛ばしたAさんと一緒に箸を洗いに行き、なかなか興奮状態が収まらずテンションが振り切ってしまっているAさんに「遊びたくて食べないならもう“ごちそうさま”してお部屋に帰ろう」と声をかけていました。

Aさんが少しでも落ち着きを戻せないかと、膝に座らせてみたり、正面から手を取って顔を合わせてみたり、「目を見て」と声をかけてみたり、逆に言葉をかけずに目で伝えようとしてみたりと工夫をしましたが、Aさんは歌を歌ったりおちゃらけてみたりとなかなか難しい様子がしばらく続きました。

 

このような状況のまま、大人と子どもが堂々巡りをしているとどうなるでしょうか…?同じような状況ではなくても、「何度言っても聞いてくれない!」「こっちは真剣なのに伝わらない!」という状況を経験したことがある方、多いのではないでしょうか。だんだんとイライラしてきて、感情をぶつけてしまう…そんな経験がある方、いらっしゃるのではないでしょうか。

大人も一人の人間です。真剣に向き合っているからこそ、感情が動くのは当然と私たちは考えています。同時に、意図せず恐怖を与えかねない負の感情が動くのはとても危険だとも考えています。ですので、錦ヶ丘では、感情が動きそうだと思ったら他の職員に「対応を代わって」と声をかけ、その子どもを守るのと同時に対応している大人を守ることも大切にしています。

なかなか落ち着くことができないAさんと向き合いながら、「急に恐怖を感じることはしていない?」「私はまだ冷静に考えられている?」と、私も頭をフル回転させながら自分自身の感情と向き合っていました。

 

しばらくして、最後の段階として、「もうおしまいにして、部屋に帰ります」とAさんに伝え、抱っこをして2階に上がりました。今までおちゃらけていたAさんはハッとして「食べる!食べるから降ろせ!」と私に訴え始めました。

その時私は「遊ぶならおしまい、食べるなら落ち着いてからともう何回も声をかけた、ダメなものはダメ」と返しました。何度かそのやり取りを繰り返した後、冒頭の「子どもなんだから優しくしてくれてもいいじゃん」をAさんが呟いたのです。

 

『子ども』だからOK?

「子どもだからOK」ということももちろんあります。それは単に『子どもかどうか』で見ているのではなく、『発達を考えたときに当然の姿なのかどうか』だと私は思っています。

先ほどの箸を飛ばしてしまったのが、もし1歳児や2歳児だったら…。“箸”の使い方がわからなくて当然の年齢ですよね。

他にも、食事のマナーがわかる年齢なのか?、子どもにあった設定時間なのか?(3~5歳児の食事の集中時間は長くても20分ほど、離乳期の子どもでは10分ほどと言われています)、その場の状況に合わせることができる年齢なのか?等も考えていきます。

泣いたり暴れたり、嫌なことを言ってみたりと、子どもも自分の思いを通そうといろんな手段を使っています。まさに頭脳戦・心理戦!!なのです。要求を通すか通さないか、という『YesかNoか』の背景には、好き嫌いや怒り等の余計な感情をのせない冷静な判断と、子どもをみるプロとしての根拠を持った判断が重要だと思っています。

 

とはいえ、子どもをかわいい・愛おしいと思っている大人にとっては、この対応がすぐできるようになるわけではありません。「泣いたらどうしよう…」「この子の思いを実現させてあげないと申し訳ない」という気持ちになるのも自然なことです。

 

私たちの関わりが子どもの未来に繋がっている

大事なのは、「自分たちの関わりが、子ども達一人ひとりの将来に繋がっている」ということを意識することだと思っています。

例えば、泣いたり暴れたりしたら自分の思いが通る、という経験を重ねていったら、どうなるでしょうか…? 気持ちを『受け止めること』と『受け入れること』は違います。子どもでも大人でも、ダメなものはダメ。受け入れて臨む行動をさせてもらえなくても、「○○したかった」という感情を受け止めてもらう経験を重ねることで、気持ちをコントロールする力や折り合いをつける力、その場に合わせる力がついていくと考えています。そして、気持ちを受け止めてもらうことは、自分自身を否定されずに大事にしてもらえたという心の土台にもつながります。

イヤイヤ期でも同じことが言えます。「なにがなんだかわからないけれど、とにかく嫌!全部嫌!」という気持ちに向き合うことはとても大変なことですが、気持ちは受け止めつつ、してほしくないことはさせない、逆にしてほしいことを大人が一緒にしてあげることが大事な関わりになると考えています。

『子どもと大人は対等』の意味

『子どもと大人は対等』と聞くと、大人と同じことを子どもにも求めたりしてもいいんだと思いがちです。けれど、そういうわけでもありません。子どもは大人が守らなければならない存在ですし、先述したように、発達や年齢に応じてOKにすることもあれば、気持ちを受け止めながら「ダメなものはダメ」とすることもあります。

「子どもだから大人の言うことを聞かないといけない」とか、逆に「子どもだから何でもOK」ではないのです。「大人には失礼にあたるからしないけど、まだ子どもだからしてもいい」ということもありません。一人の人として真剣に向き合うこと、発達に応じて「ダメなものはダメ」と伝えること、気持ちはまるごとしっかり受け止めること。一人ひとりが大事だからこそ、どっちが上とか下とかではなく、真正面から向き合うことを大切にしています。

 

駄々こねや要求を通そうとする強い場面だけではなく、普段の遊びやスキンシップの中で子どもに求められるとついつい頑張りすぎてしまうこともあるかと思います。そんな時にも「ちょっと身体が痛くなったから、あと1回したら今はおしまいね」や「そんな風にされると大人でも痛いからやめてほしい」等、大人も自分の思いをきちんと、丁寧に子どもに伝えていくことが、“子どもと大人は対等”の一歩だと考えています。

子どもも立派な一人の人です。「まだわからないだろう」と大人が我慢したりはぐらかしたりするのではなく、丁寧に思いを伝えることを大切にしたいですね。

 

冒頭のAさんは、「子どもなんだから…」とつぶやいたあの後、「優しくしてほしい気持ちはわかったよ、でも、ご飯の時にふざけるのは違う。子どもでも大人でも、ダメなものはダメなんだよ」と目を見ながら私が伝えると「そうなのか」といった表情をし、落ち着いて給食に戻っていきました。

今回はこのような対応になりましたが、その時々の子どもの様子によって私たちの関わりも変わります。しかし、「子どもの人格を否定していないか?」「大人中心になっていないか」といった根本的な考えを、どんな関わりにおいても意識しています。

大人が真剣に向き合うことで、必ず子ども達に伝わるし、子ども達は変わっていきます。

 

『子どもと大人は対等』。子どもに関わる一人の大人として、心から向き合うことを大切にしていくために、これからもずっと心に留めていきたいと思います。

 

文責:藤﨑

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