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2023.09.06

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あれから30年… ~8・6水害を経験して~

今年は、新聞やニュースでこのワードがよく目につきました。

30年前の8月6日、皆さんはどのように過ごされていましたか?

鹿児島市を襲った大水害。30年という月日と共に、その事実を知らない世代も増えてきている現状があります。

私自身がこの経験から、「災害時子ども達の命を守るためには…」「保護者に安心して園に子ども預けていただくためには…。」ということを念頭におき被災者の一人として、伝え続けていきたいと思っています。

楽しい夏休みが…

8.6鹿児島豪雨災害(記録的豪雨により鹿児島市を中心に各地に災害が続発) | 一般社団法人九州地方計画協会 (k-keikaku.or.jp)

(最終閲覧日:2023年8月12日)

 

土砂災害が同時多発的に起こるなどして死者・行方不明者49人、1万棟を超える建物が浸水しました。

当時小学校6年生、私自身、被災者の一人です。甲突川が氾濫し、自宅も床上150㎝の被害を受けました。

いつもは、交通量も多い自宅前の道路もあっという間に川と化し、大人たちが慣れないながら交通誘導を行っている光景が思い出されます。

自宅1階の窓ガラスが割れ、水が流れ込んできたため、我が家も父親の職場に避難を余儀なくされました。避難時、自宅前の道路はすでに小学生だった私の腰当たりまで水が上がっていたように思います。

地域の大人に守られて…

30年前…今の様に携帯電話もない時代、状況把握が難しく、家族との連絡さえままならない中、地域の助け合いは今以上に強かったことを感じます。

幼馴染や同級生の両親や家族も帰宅できずに、近所の大人たちが声を掛け合い、一緒に過ごしました。恐ろしさを感じさせない為だったのでしょう、私たち兄弟も、父の職場近くの友人宅に招かれ、一晩お世話になりました。

30年が過ぎ、娘が当時の私と同じ年齢になった今、「同じ状況が起きたら…」と、考えると同じようにはいかないだろうと感じます。

ご近所の方は顔見知りではあっても、連絡先は知らない。携帯電話はあるけれど、安心して子どもを預けることが出来るところはない。当たり前のようにできていたご近所付き合いも、時代と共に希薄になっています。

月日と共に…

国道3号鹿児島市下伊敷町玉江小前

主な災害の概要:[13]鹿児島水害 国土交通省 九州地方整備局 (mlit.go.jp)

(最終閲覧2023年8月12日)

100年に一度の災害、と言われた8・6水害。その後、多くの自然災害が起き、鹿児島に住む若者も、その事実を知らない世代が多いという話を聞きました。

当時の経験から、甲突川周辺の水害対策は強化され、その後同じような災害は起きていません。しかし、忘れてはいけない体験だったと思います。

当時の記録として、在籍していた小学校では体験を綴った記録文集も作られました。近隣の小学校でも同じように記録が残されていたようです。その時の子ども達・保護者・職員が綴った文章が、生々しくつづらています。

学生時代は、大雨が降るたびに水害のこと思い出し涙が出てしまうくらい怖い体験でした。

しかし保育士となり、母となって、園児やわが子を守らなければならない立場になり、自分自身の意識も変わっていきました。有事の際どうしたらいいのだろうと考えるようになりました。

あの時、わが子を思い一晩掛けて必死に帰ってきた友人の両親。家族の所在が分からない不安を抱えていた友人。「大丈夫!」と励まし、不安にさせまいと家に招いてくれてご家族。

一人では、何も出来ないかもしれないけれど、私たちも、どんな状況でも、大切なお子さんを安心して預けることが出来るそんな場所でありたいと思います。

こども園では毎月の避難訓練(様々な災害を想定)と共に、非常時マニュアルを毎年確認し、非常食などの備蓄品も管理しています。

月は、台風を想定しての避難訓練も実施されました。この夏台風を経験したからこそ、子ども達もより自分事として考えることが出来たのではないかと思います。

私たちの身近に起こった災害を振り返ると共に、もしもの時に家庭でできることを考えながら、防災についても子ども達と共に考えていくことが出来たらと思います。

子ども達の命と安全を守るために…。

 

8・6豪雨災害を振り返る(各機関の取組み)

鹿児島市ホームページ「8・6豪雨災害30年関連事業」特設ページより引用

(最終閲覧 2023年8月23日)

 

文責:田中

 

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